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なーんと、前から「過去問を大学間で融通できるようにしよう」という動きが、とうとう実現されましたなぁ。全国の国公私立66大学で相互の過去問をそのまま使用したり、一部改変して使用できるようになるそうで。詳しくはリンク先をどうぞ。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070515i216.htm
最初にこのニュースを知ったときには、失礼ながらあまり有名でなく、経営的に問題のある大学が、コスト削減のために背に腹はかえられずにやっているのかと思っておりました。なんと、九州大や横浜国立大などかなり上位の国公立大学まで参加していたのですね。おどろきました。
過去問を互いに融通しあうということは、大学受験の勉強において、過去問を解くことの重要性が以前より高まるわけですね。ま、同じ大学で使いまわすわけではないので、二匹目の泥鰌は狙えないのですけど。
まぁ、大学側としても毎年どこの大学でも出していないような形式をいちいち考えることに少なからぬマンアワーを割くことから解放されるので、メリットは大なのでしょうね。
ところで、こういうニュースに対していまだに「受験産業を肥大化させて云々」「子供の個性が云々」という批判を〇〇(自主規制)の一つ覚えのように大声で警告される方々が毎回飽きもせずいらっしゃるのですが、何が言いたいのか皆目理解できません。
私は確かに予備校講師なので、受験産業が盛んになれば嬉しいのですが、彼らの発言で必ずと言って良いほど出てくる「受験勉強は人格をゆがめる」「個人が消され、型にはめられる」などという批判は的外れではないのかと思うのです。私の勝手な思い込みですが。
だって、受験勉強というと、それこそ自分の人生をかけた戦いなわけですよ。まだ10代の受験生にとっては人生で初めてぶつかる難関なのです。それに対して一生懸命になれなくって、その先の人生のどこで本気になれるのかと、思うわけですよ。自分の人生がかかった戦いに真剣に取り組むことで人格がゆがむわけないじゃないですか。
そもそも、解答が用意されている「受験勉強ですら」一生懸命やれない人間が、答えのない問題で悩まなくてはならないその先の人生を充実させられるわけがないだろう、と思うのです。
大体、「受験勉強は人格を(略)」と言っている人もスポーツになると批判せんのです。スポーツはイイモノ、勉強は悪、というよくわからん公式が遺伝子レベルで刷り込まれているのでしょう。でないとこんな記事が出るたびに延髄反射的なコメントを垂れ流して得意顔なんかできませんよ、恥ずかしくて。
スポーツだろうが勉強だろうが何かに一生懸命になることに違いは無かろうに、スポーツは礼賛、勉強は批判。差別するなと言いたい。そもそもスポーツが健全だなんて、高校野球の特待制度の問題や裏金の問題がこれほど深刻なのによく言えたもんだと。
昔っから私は高校野球の押し付けがましい強制的サワヤカ、誰もが絶対にニコヤカ、批判するやつは人でなし、という北朝鮮のマスゲームみたいな感覚が大嫌いでして。選手宣誓で「正々堂々と戦う」と誓ったくせに平気で盗塁でもなんでもしよるし。全然正々堂々ちゃうやんけ。こんなのは紳士がやるものではない、と新渡戸稲造さんも言ってましたな。
なんだかまとまりがなくなりましたが、今日はこの辺で。
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最初にこのニュースを知ったときには、失礼ながらあまり有名でなく、経営的に問題のある大学が、コスト削減のために背に腹はかえられずにやっているのかと思っておりました。なんと、九州大や横浜国立大などかなり上位の国公立大学まで参加していたのですね。おどろきました。
過去問を互いに融通しあうということは、大学受験の勉強において、過去問を解くことの重要性が以前より高まるわけですね。ま、同じ大学で使いまわすわけではないので、二匹目の泥鰌は狙えないのですけど。
まぁ、大学側としても毎年どこの大学でも出していないような形式をいちいち考えることに少なからぬマンアワーを割くことから解放されるので、メリットは大なのでしょうね。
ところで、こういうニュースに対していまだに「受験産業を肥大化させて云々」「子供の個性が云々」という批判を〇〇(自主規制)の一つ覚えのように大声で警告される方々が毎回飽きもせずいらっしゃるのですが、何が言いたいのか皆目理解できません。
私は確かに予備校講師なので、受験産業が盛んになれば嬉しいのですが、彼らの発言で必ずと言って良いほど出てくる「受験勉強は人格をゆがめる」「個人が消され、型にはめられる」などという批判は的外れではないのかと思うのです。私の勝手な思い込みですが。
だって、受験勉強というと、それこそ自分の人生をかけた戦いなわけですよ。まだ10代の受験生にとっては人生で初めてぶつかる難関なのです。それに対して一生懸命になれなくって、その先の人生のどこで本気になれるのかと、思うわけですよ。自分の人生がかかった戦いに真剣に取り組むことで人格がゆがむわけないじゃないですか。
そもそも、解答が用意されている「受験勉強ですら」一生懸命やれない人間が、答えのない問題で悩まなくてはならないその先の人生を充実させられるわけがないだろう、と思うのです。
大体、「受験勉強は人格を(略)」と言っている人もスポーツになると批判せんのです。スポーツはイイモノ、勉強は悪、というよくわからん公式が遺伝子レベルで刷り込まれているのでしょう。でないとこんな記事が出るたびに延髄反射的なコメントを垂れ流して得意顔なんかできませんよ、恥ずかしくて。
スポーツだろうが勉強だろうが何かに一生懸命になることに違いは無かろうに、スポーツは礼賛、勉強は批判。差別するなと言いたい。そもそもスポーツが健全だなんて、高校野球の特待制度の問題や裏金の問題がこれほど深刻なのによく言えたもんだと。
昔っから私は高校野球の押し付けがましい強制的サワヤカ、誰もが絶対にニコヤカ、批判するやつは人でなし、という北朝鮮のマスゲームみたいな感覚が大嫌いでして。選手宣誓で「正々堂々と戦う」と誓ったくせに平気で盗塁でもなんでもしよるし。全然正々堂々ちゃうやんけ。こんなのは紳士がやるものではない、と新渡戸稲造さんも言ってましたな。
なんだかまとまりがなくなりましたが、今日はこの辺で。
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